2017-1-6 未分類
あまりにも有名な話なので、ご存知の方も多いと思いますが、

ご存じでない方のためにシェアしたいと思います。



この物語は、今から35年ほど前の12月31日、

札幌の街にあるそば屋「北海亭」での出来事から始まる。

そば屋にとって一番のかき入れ時は大晦日である。

北海亭もこの日ばかりは朝からてんてこ舞の忙しさだった。

いつもは夜の12時過ぎまで賑やかな表通りだが、

夕方になるにつれ家路につく人々の足も速くなる。

10時を回ると北海亭の客足もぱったりと止まる。

頃合いを見計らって、人はいいのだが無愛想な主人に代わって、

常連客から女将さんと呼ばれているその妻は、

忙しかった1日をねぎらう、大入り袋と土産のそばを持たせて、

パートタイムの従業員を帰した。

最後の客が店を出たところで、そろそろ表の暖簾を下げようかと

話をしていた時、入口の戸がガラガラガラと力無く開いて、

2人の子どもを連れた女性が入ってきた。

6歳と10歳くらいの男の子は真新しい揃いのトレーニングウェア姿で、

女性は季節はずれのチェックの半コートを着ていた。

「いらっしゃいませ!」

と迎える女将に、その女性はおずおずと言った。

「あのー……かけそば……1人前なのですが……よろしいでしょうか」

後ろでは、2人の子ども達が心配顔で見上げている。

「えっ……えぇどうぞ。どうぞこちらへ」

暖房に近い2番テーブルへ案内しながら、

カウンターの奥に向かって、

「かけ1丁!」

と声をかける。

それを受けた主人は、チラリと3人連れに目をやりながら、

「あいよっ! かけ1丁!」

とこたえ、玉そば1個と、さらに半個を加えてゆでる。

玉そば1個で1人前の量である。

客と妻に悟られぬサービスで、大盛りの分量のそばがゆであがる。

テーブルに出された1杯のかけそばを囲んで、

額を寄せあって食べている3人の話し声が

カウンターの中までかすかに届く。

「おいしいね」

と兄。

「お母さんもお食べよ」

と1本のそばをつまんで母親の口に持っていく弟。

やがて食べ終え、150円の代金を支払い、

「ごちそうさまでした」

と頭を下げて出ていく母子3人に、

「ありがとうございました! どうかよいお年を!」

と声を合わせる主人と女将。

新しい年を迎えた北海亭は、

相変わらずの忙しい毎日の中で1年が過ぎ、

再び12月31日がやってきた。

前年以上の猫の手も借りたいような1日が終わり、

10時を過ぎたところで、店を閉めようとしたとき、

ガラガラガラと戸が開いて、

2人の男の子を連れた女性が入ってきた。

女将は女性の着ているチェックの半コートを見て、

1年前の大晦日、最後の客を思いだした。

「あのー……かけそば……1人前なのですが……よろしいでしょうか」

「どうぞどうぞ。こちらへ」

女将は、昨年と同じ2番テーブルへ案内しながら、

「かけ1丁!」

と大きな声をかける。

「あいよっ! かけ1丁」

と主人はこたえながら、

消したばかりのコンロに火を入れる。

「ねえお前さん、サービスということで3人前、出して上げようよ」

そっと耳打ちする女将に、

「だめだだめだ、そんな事したら、かえって気をつかうべ」

と言いながら玉そば1つ半をゆで上げる夫を見て、

「お前さん、仏頂面してるけどいいとこあるねえ」

とほほ笑む妻に対し、

相変わらずだまって盛りつけをする主人である。

テーブルの上の、1杯のそばを囲んだ母子3人の会話が、

カウンターの中と外の2人に聞こえる。

「……おいしいね……」

「今年も北海亭のおそば食べれたね」

「来年も食べれるといいね……」

食べ終えて、150円を支払い、

出ていく3人の後ろ姿に

「ありがとうございました! どうかよいお年を!」

その日、何十回とくり返した言葉で送り出した。

商売繁盛のうちに迎えたその翌年の大晦日の夜、

北海亭の主人と女将は、たがいに口にこそ出さないが、

九時半を過ぎた頃より、そわそわと落ち着かない。

10時を回ったところで従業員を帰した主人は、

壁に下げてあるメニュー札を次々と裏返した。

今年の夏に値上げして「かけそば200円」と書かれていたメニュー札が、

150円に早変わりしていた。
 2番テーブルの上には、





すでに30分も前から「予約席」の札が女将の手で置かれていた。

10時半になって、店内の客足がとぎれるのを待っていたかのように、

母と子の3人連れが入ってきた。

兄は中学生の制服、弟は去年兄が着ていた大きめのジャンパーを着ていた。

2人とも見違えるほどに成長していたが、

母親は色あせたあのチェックの半コート姿のままだった。

「いらっしゃいませ!」

と笑顔で迎える女将に、母親はおずおずと言う。

「あのー……かけそば……2人前なのですが……よろしいでしょうか」

「えっ……どうぞどうぞ。さぁこちらへ」

と2番テーブルへ案内しながら、

そこにあった「予約席」の札を何気なく隠し、

カウンターに向かって

「かけ2丁!」

それを受けて

「あいよっ! かけ2丁!」

とこたえた主人は、玉そば3個を湯の中にほうり込んだ。

2杯のかけそばを互いに食べあう母子3人の明るい笑い声が聞こえ、

話も弾んでいるのがわかる。

カウンターの中で思わず目と目を見交わしてほほ笑む女将と、

例の仏頂面のまま「うん、うん」とうなずく主人である。

「お兄ちゃん、淳ちゃん……
今日は2人に、お母さんからお礼が言いたいの」

「……お礼って……どうしたの」

「実はね、死んだお父さんが起こした事故で、
8人もの人にけがをさせ迷惑をかけてしまったんだけど
……保険などでも支払いできなかった分を、毎月5万円ずつ払い続けていたの」

「うん、知っていたよ」

女将と主人は身動きしないで、じっと聞いている。

「支払いは年明けの3月までになっていたけど、
実は今日、ぜんぶ支払いを済ますことができたの」

「えっ! ほんとう、お母さん!」

「ええ、ほんとうよ。
お兄ちゃんは新聞配達をしてがんばってくれてるし、
淳ちゃんがお買い物や夕飯のしたくを毎日してくれたおかげで、
お母さん安心して働くことができたの。
よくがんばったからって、会社から特別手当をいただいたの。
それで支払いをぜんぶ終わらすことができたの」

「お母さん! お兄ちゃん! よかったね!
でも、これからも、夕飯のしたくはボクがするよ」

「ボクも新聞配達、続けるよ。淳! がんばろうな!」

「ありがとう。ほんとうにありがとう」

「今だから言えるけど、淳とボク、お母さんに内緒にしていた事があるんだ。
それはね……11月の日曜日、淳の授業参観の案内が、学校からあったでしょう。
……あのとき、淳はもう1通、先生からの手紙をあずかってきてたんだ。
淳の書いた作文が北海道の代表に選ばれて、
全国コンクールに出品されることになったので、
参観日に、その作文を淳に読んでもらうって。
先生からの手紙をお母さんに見せれば
……むりして会社を休むのわかるから、淳、それを隠したんだ。
そのこと淳の友だちから聞いたものだから……ボクが参観日に行ったんだ」

「そう……そうだったの……それで」

 「先生が、あなたは将来どんな人になりたいですか、という題で、
全員に作文を書いてもらいましたところ、
淳くんは、『一杯のかけそば』という題で書いてくれました。
これからその作文を読んでもらいますって。
『一杯のかけそば』って聞いただけで北海亭でのことだとわかったから
……淳のヤツなんでそんな恥ずかしいことを書くんだ!
と心の中で思ったんだ。










作文はね……お父さんが、交通事故で死んでしまい、
たくさんの借金が残ったこと、
お母さんが、朝早くから夜遅くまで働いていること、
ボクが朝刊夕刊の配達に行っていることなど……ぜんぶ読みあげたんだ。

そして12月31日の夜、3人で食べた1杯のかけそばが、とてもおしかったこと。
……3人でたった1杯しか頼まないのに、
おそば屋のおじさんとおばさんは、ありがとうございました! どうかよいお年を!
って大きな声をかけてくれたこと。
その声は……負けるなよ! 頑張れよ! 生きるんだよ!
って言ってるような気がしたって。

それで淳は、大人になったら、
お客さんに、頑張ってね! 幸せにね! って思いを込めて、ありがとうございました!
と言える日本一の、おそば屋さんになります。
って大きな声で読みあげたんだよ」

カウンターの中で、聞き耳を立てていたはずの主人と女将の姿が見えない。

カウンターの奥にしゃがみ込んだ2人は、

1本のタオルの端を互いに引っ張り合うようにつかんで、

こらえきれず溢れ出る涙を拭っていた。

「作文を読み終わったとき、先生が、淳くんのお兄さんが
お母さんにかわって来てくださってますので、
ここで挨拶をしていただきましょうって……」

「まぁ、それで、お兄ちゃんどうしたの」

「突然言われたので、初めは言葉が出なかったけど
……皆さん、いつも淳と仲よくしてくれてありがとう。
……弟は、毎日夕飯のしたくをしています。
それでクラブ活動の途中で帰るので、
迷惑をかけていると思います。
今、弟が『一杯のかけそば』と読み始めたとき
……ぼくは恥ずかしいと思いました。
……でも、胸を張って大きな声で読みあげている弟を見ているうちに、
1杯のかけそばを恥ずかしいと思う、
その心のほうが恥ずかしいことだと思いました。

あの時……1杯のかけそばを頼んでくれた母の勇気を、
忘れてはいけないと思います。
……兄弟、力を合わせ、母を守っていきます。
……これからも淳と仲よくして下さい、って言ったんだ」

しんみりと、互いに手を握ったり、

笑い転げるようにして肩を叩きあったり、

昨年までとは、打って変わった

楽しげな年越しそばを食べ終え、300円を支払い

「ごちそうさまでした」

と、深々と頭を下げて出て行く3人を、

主人と女将は1年を締めくくる大きな声で、

「ありがとうございました! どうかよいお年を!」

と送り出した。

また1年が過ぎて――。

北海亭では、夜の9時過ぎから「予約席」の札を

2番テーブルの上に置いて待ちに待ったが、

あの母子3人は現れなかった。

次の年も、さらに次の年も、

2番テーブルを空けて待ったが、3人は現れなかった。

北海亭は商売繁盛のなかで、店内改装をすることになり、

テーブルや椅子も新しくしたが、

あの2番テーブルだけはそのまま残した。

真新しいテーブルが並ぶなかで、

1脚だけ古いテーブルが中央に置かれている。

「どうしてこれがここに」

と不思議がる客に、

主人と女将は『一杯のかけそば』のことを話し、

このテーブルを見ては自分たちの励みにしている、

いつの日か、あの3人のお客さんが、

来てくださるかも知れない、

その時、このテーブルで迎えたい、と説明していた。

その話が「幸せのテーブル」として、客から客へと伝わった。

わざわざ遠くから訪ねてきて、そばを食べていく女学生がいたり、

そのテーブルが、空くのを待って注文をする若いカップルがいたりで、

なかなかの人気を呼んでいた。




 

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