2018-2-20 未分類

須佐之男尊・饒速日尊の弥生時代、また飛鳥時代の古代史を追究していくと、

[日本書紀]の記述内容は、中国や朝鮮半島の史書、 国内の古神社や寺院の縁起、

伝承とは整合せず、 また考古学史料とも違った点が多くみられる。

[日本書紀]は史実を偽って書かれており、偽作と考えざるを得ない面が多い。

その論拠は日本書紀に記されている大化の改新の模様が、如何にも不自然であり、

後世でしか現れない制度などが堂々と登場するからである。

また「国、郡、県(くに・こおり・あがた)」を整備し、

令制国とそれに付随する郡に整備し直したと伝わるが、 この郡という用語は大宝律令以後の用語であり、

大化の改新当時は評(ひょう)という用語を使用していたらしい。

これは、出土した木簡から明らかになっている。 こうしたことは、

これまでにも多くの識者・研究者が指摘している。

政争や政権争奪事件の実態からみて、[日本書紀]は七~八世紀の政争勝者にとって都合良く書かれ、

史実を歪曲したり、ときには全くの創作とみられる記述も少なくないだろう。

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