概要:
彼が立てた仮説は、適切に扱えば、最低限だけでも、生魚、ビタミンCを得るためのプランクトン、
そして海水だけで、もっと長く生き延びることが出来るというものでした。
1952年、彼が28歳の時、食料も水も持たずに、5×6メートルの空気ボートでの大西洋横断を決意。
彼は、船を「異端者号」となづけました。アラン・ボンバールと友人で航海士のジャック・パルマ―。
基本的な釣り道具、コンパス、帆のみで、海を渡ります。
旅は、1952年の5月25日に始まります。
ボンバールとパルマ―は、モナコを出発し、アメリカ大陸に向けて西へ進んでいきました。
この目標がどれだけ大変なことか気づくまでに、そう長くはかかりませんでした。
ある日、ボンバールとパルマ―は近づいてくる船の音をはっきりと聞き、光さえ目にしたのです!
しかし、突然、風で霧が晴れ、ボンバールとパルマ―は衝撃を受けたのです。
「見なかったこと」にびっくりしたと言ってもいいかもしれません。
自分達の周りには、船など全くなかったのです。空気に消えた船…?!
数日後、モロッコのタンジェに到着。ここで、パルマ―は実験からリタイアします。
彼にとって、この旅はきつ過ぎたのです。
しかし、ボンバールは、自分の理論が正しいこと、自分は目標を達成できる、ということを証明したかったのです。
大西洋は、彼の決断の味方にはなってくれませんでした。すぐに嵐に巻き込まれます。
その時になって、ボンバールは、自分が嵐に対する準備ができていないことに気づきます。
アラン・ボンバールが大西洋の残酷な試練を乗り越えたかのように、水は穏やかになり、
魚が群れで現れるようになったのです。そこから、食べ物と水を得るのに困ることはありませんでした。
彼の危険な旅の主な目標は、難破した後に海に取り残された人達が生き延びることができる、
ということを証明すること。しかし、近くに船を見た際は、注意を惹こうと努力しました。
太陽で肌が焼けようが、24キロも減量しようが、台風に耐えようが、すでに経験した飢えと嵐に比べれば、
どうってことはありませんでした。
1952年12月3日、彼は西インド諸島のバルバドスに到着。緊急用の食料は、まだ手つかずでした。