2020-4-19 未分類

「魏志倭人伝」では、あれほど大きく取り上げられている「邪馬台国」の話が、日本の最古の歴史書である「古事記」と「日本書紀」では全く取り上げられていない理由を探る。 福岡県朝倉市は歴史ある場所で「朝倉橘広庭宮」があり、新羅派兵のため行幸していた斉明天皇が崩御した宮です。おそらく、朝倉橘広庭宮が物部王国の原型「邪馬台国」のあった場所だったのでしょうね、その後、斉明天皇と中大兄皇子が朝倉宮から、白村江の戦に派兵するが新羅と唐の連合軍に敗れて、朝倉宮を退いて、都に戻るが交易に便利な海の近くにあった難波宮を唐と新羅軍の侵攻を恐れて、陸地の奥の近江大津宮へ遷し、ここで中大兄皇子は天智天皇に即位するのである。天智天皇はここで「近江令」を制定し、正式に国名を「倭国」から「日本」と名乗り、「天皇」号を作り出し中国の「皇帝」と対等である国家を建設しました。 訂正 動画の中で「物部」を「ものべ」と読んでいますが「もののべ」の誤りです。 訂正してお詫びいたします。

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