2020-7-3 未分類

8/15は終戦記念日なんで、何か作ってみました。 終戦後、沖縄県は日本政府の統治から切り離され、1945~72年までアメリカの統治下にありました。 が 実はもう1県だけ、千葉県も日本から離れアメリカ統治した期間がありました。(2日間) 基地や兵員、鉄道連隊や風船爆弾などの特殊部隊も多くあり、 特攻兵器も震洋・蛟龍・海龍・桜花・回天と何でもありました。 今回は戦争遺跡をドローンでまとめてみました。 ・1881年~「東京湾要塞第一海堡」 首都防衛の要として、千葉県富津市沖に作られた人工の島。 第一~第三の要塞島で東京湾から入る敵船を砲撃する。 2kmずつ離れた要塞の海中には防潜網が張られ、高角砲や対空砲も充実している。 ・「鵜原火薬庫」 火薬の製造、精錬、保管を行ってた軍需工場。 工場の半分以上は現存しないが、無数のトロッコレールとトンネルで地上13棟、地下3棟の火薬保管庫、その他16棟の施設が山中に眠る。正式名称は「震洋隊守谷特攻基地所属鵜原火薬庫」と言い、軍需工場であり特攻基地でもある。 ・特攻兵器「震洋」 高速ボートに250kg弾積んで敵船に体当たりします。 第55震洋隊のボート保管庫と第59震洋隊の発進スロープです。 千葉県は震洋だけでも1171人/290艇が配備されてました。 ・特攻兵器「桜花」 ロケットエンジンで準音速(800km)にて敵船に体当たりする。 機体重量400kg/爆薬量1200kg、現代の主兵装、誘導ミサイルの原型とも言える。本来は大型航空機から切り離す運用だが、千葉県では地上型の桜花基地と発射カタパルトが山中に作られた。 ・特攻兵器「回天」 爆薬量1600kg/15mの大型魚雷を改造し、手動操縦で体当たりする。 本土決戦で東京に侵攻すると考えると、要塞化された横須賀や木更津周辺を避け、太平洋側の九十九里浜から上陸するのが最有力なルートと考えられた。その敵を横から雷撃する為、いすみ市大原漁港に回天基地は作られた。回天を6機格納・整備する為内部は広い。 ・掩体壕 中に飛行機入れて、敵の攻撃から守ります。 戦闘機やら爆撃機を第一~第五地下工場で製造していた日立製作所や茂原海軍航空隊基地の所属85機やら茂原市は大いに栄えました。掩体壕は現在でも10基くらい現存してます。 ・海中基地 富津市や館山市にあり、東京湾に侵入する敵の潜水艦の聴音・探知をする海中基地です。沖合にポツンとあります。 ・電探基地 敵航空機を感知する電探(レーダー)の跡地です。 太東岬では新型電探の開発とテストを行ってた基地がありました、電探設置台・対空砲跡・地下操作室の入口が現存しています。 敵を探知する重要拠点なので、太東海軍航空基地も新設されました。 (ボツになった物) ・風船爆弾基地(碑しか無くてイメージしにくい) 一部を表示

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